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小説の感想とその他いろいろ(音楽、映画、壁紙...)愚考録

『リヴァイアサン』ポール・オースター

一人の男が道端で爆死した。製作中の爆弾が暴発し、死体は15mの範囲に散らばっていた。男が、米各地の自由の女神像を狙い続けた自由の怪人(ファントム・オブ・リバティ)であることに、私は気付いた。FBIより先だった。実は彼とは随分以前にある朗読会で知り合い、一時はとても親密だった。彼はいったい何に絶望し、なぜテロリストになったのか。彼が追い続けた怪物リヴァイアサンとは。謎が少しずつ明かされる。(新潮社HPより)

好きな作家さんの本を買うときは、出来るだけ「偶然の出会い」というものを大切にしている。ふらっと本屋さん(主に古本屋さん)に行って見つけた時の、「あ、あった!」という感動の対面を味わいたいのである。まあ、どうしても読みたい時はサクッとネットで探して購入してしまうけれども。

ということで、そんなくだらない癖(へき)のために未読だったポールオースター『リヴァイアサン』。先日ついに出会い、読了。


自分が考え出したものがいかに奇抜だと思っても、それらはとうてい、現実世界がしじゅう吐き出しているものの予測しがたさには及ばない。この教訓はいまや私には逃れようのないものに思える。どんなことでも起きうる。そして、いずれは何らかの形で、事実どんなことでも起きるのだ。 『リヴァイアサン』p266

ポールオースターの小説にはいつも、「偶然」という要素がいわば必然的に存在する。その「偶然」の出来事によって、物語は広がっていく。「えー?そんなことってある?」っていうような「奇抜な」出来事が起きているのだけれども、しかし、特にそんな違和感など感じることのないまま、結局最後まで読まされてしまうのだ。そしてこの『リヴァイアサン』も、他の作品と同様やはりその通りだった。これがポールオースターの筆力。「事実は小説よりも奇なり」ということを、もはや無意識に僕ら読者は納得させられている。

それにしても、他の作品に比べ読みやすかったな、という印象。ポールオースターお得意のメタフィクション的な構成の複雑さもなく、登場人物の、「ちょっと何言ってるかわかんない」的な凡人には理解できない不可解な言動も少ない(サックスやマリアを筆頭に魅力は十分)。まあ、これらがポールオースターの小説の面白さでもあるのだけれど、その要素が薄くてもあまりある、物語そのものの魅力。もうこれで十分である。つまり『リヴァイアサン』は、これぞポールオースターという作品ではないかもしれないけれども、単純に彼のストーリーテリング力を実感するには最適な小説なのかもしれない。


普段僕は、どんな本を読むときでも、気に入った文章にはじゃんじゃんマーカーを引くタイプなのだけれど、ポールオースターの小説はとりわけその数が多い(勿論訳者の柴田元幸さんの訳が素晴らしいというのもある)。ちょうど昨日(6.9.2019)、MLBで最高の対戦があったので、ちょっとその辺踏まえてひとつお気に入りのセリフを引用させていただく。

きっと、野球なしで長く暮らしすぎたんだと思う。人間、ダブルプレーとホームランを一定量摂取しないと精神が枯渇してくるから

ね。いいでしょ?(押しつけ)。きっとポールオースターにとって野球(ベースボール)は、それほどの存在なのだろう。他の作品でもたくさん野球にまつわるエピソードが登場するし、オースターと野球は切っても切り離すことはできないのだ。野球好きなおじさん達がカフェでスポーツ紙片手に贔屓のチームの文句(愛のある)を言い合う。微笑ましいことこの上ない空間である。まあ、特に野球好きじゃない人にとってはどうでもいいところだと思うけれど。笑。とにかく僕的には、この小説の中で一番といっても過言ではないくらい印象に残ったセリフだったので、引用させていただいた。

また、引用した文章からも分かる通りポールオースターの小説は文学的な趣きがある一方で、どこか世俗的というか大衆的な雰囲気もあり、そのほどよい混在が、僕が彼の小説を好む理由なのではないか、という気がしている。「何でも起こりうる世界」をありのまま受けいれるその寛容さに惹かれるのだ。

私自身何に対してもオープンでありたいし、影響され得ないものはないと考えています。ポピュラー・カルチャーの最も通俗的な要素から、最も難解で晦渋な哲学書まで、影響は数限りない。全てが私たちの住む世界の一部です。線引きをしてあれこれ除外し始めるということは、リアリティに背を向けるのと同じことで、それは小説家にとっては命取りです。 「現代作家ガイド ポールオースター」p49

サックスも「一部の作家たちのように、大衆文化に敵意を抱く人間ではなかった (p175)」。サックスはオースターの分身だろう。

サックスという架空の人物がオースターという現実の人物の分身であるのと同様に、マリア・ターナーはソフィ・カルという実在の芸術家をモデルにして描かれている。この『リヴァイアサン』の中で屈指の魅力を放つ登場人物のマリアのモデルが実在すると知り、驚いた。こんな変な(褒め言葉。笑)女性がホントにいるのか。後でいろいろ調べてみよ。調べたら追記(もしくは別記事に)する。


最初に書いた通り、自分の癖のおかげで未読のオースター作品がまだ数冊あるし、そもそも未訳の作品もある(『sunset park』は洋書で出会ってちびちび読み進めている)。しかし、この状況は喜ぶべきことだ。楽しみは後回し。きっと偶然の出会いは必然的に待ちうけている。と思いたい。

リヴァイアサン (新潮文庫)

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www.hontoiroiro.com

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